●MORRIEの特徴

 【好きなもの】
 猫: 溺愛して育てる。手は掻き傷だらけ。でも、たった今は飼っていないみたい。 
 読書: 昔はラヴ・クラフトなど、
     それからサイバー系やデリダ、ドゥルーズなどポスト構造主義にはまり、
     その後夏目漱石など明治の自然文学へ。今は何を読んでいるのか?
 女性: 普通、好きなものですよね、最近の趣味は「奥様自慢」のようです。
 
 【特技】   
 語学: スペイン語学科に在籍した。今は英語がネイティブに近い。
 コンピュータ: 打ち込みで曲を創るのに使うが、そうでなくてもMACおたくだった。
         でも、現在はWINユーザー?
 野球: 中学時代は野球をやってて、意外にスポ根の世界を生きていた。
 ギター: ソロ以降、ギタリストはMORRIEだけというステージもあり。
 ペン習字:MORRIEより字が綺麗だと自信をもって言える人はすくないのでは?
      幼い頃、写経させられていたそう。


●私にとってのMORRIEとは・・・通常どちらかと言えばミュージシャンを「カリスマ」と見るよりは、「一人の人間」として見たいと思っているので、どんなに尊敬するアーティストであっても、意識的に「様」を付けないで呼びたいと思っているが、それでも「MORRIE様」と言ってしまうことがある、簡単に言ってしまえばそういう人である。

DEAD ENDのボーカルとして87年の1stアルバム「ghost of romance」で知って以来、私にとってのMORRIEの魅力は、常に進化し続けているところだろう。ビジュアル的に濃いメイクで髪を立てなくなったという表面上の変化だけでなく、その表現される内的世界は、知性に裏付けされた上でいつも目新しく変化し、その謎解きは全く容易ではない。
DEAD ENDのその特異な雰囲気は、後にMORRIEが「観念的」と批判するようになる、井の中の蛙的、閉鎖的な場所で意識的に作られたものだったのだろうが、様々な個性と確かなテクニックを持つこのバンドは、異様な存在感を放っていたことは事実である。また、バンド解散後のソロについては、脳味噌をフル回転しても到底追いつかない程の哲学的な、また類のない独自の世界がある。

 今、NYで暮らしているらしい彼にとっては、過去は過去にしか過ぎないのかもしれないし、彼から見れば虚像を追い求めるような私たちの行為はロマンティック極まりないのかもしれない。しかし、10年を越える月日が経っても全く色褪せないのだから仕方がない。

 アメリカのストリートから出てきた、リアリティある自分たちの本物の言葉と音で全てを物語るバンドを耳にすると、日本の音楽シーンで流行っているものは、まさにMORRIEが忌み嫌いそうな絵空事を歌っているものが余りに多いと感じる。だからと言う訳ではないが、MORRIEの本物の声を今もう一度日本に投げかけて欲しい!と私は願って止まない。   裕子


●MORRIEとは・・・  DEAD ENDを聴き出したのはゴーストオブロマンスからで、中学三年の頃たまたま本屋でロッキンFを立ち読みし、DEAD ENDというバンドがどういうバンドかも知らなかったくせに、DEAD ENDメジャーデビューの記事を読み、発売当日にCD屋に買いに行った記憶があります。
DEAD LINEが再発され、あわてて買ったらそのCD屋が一週間後にピクチャー盤を仕入れ、さらにシングルカップリングでCD化された時には、かなり悔しい思いをしました。

 MORRIEの才能が開花したアルバムはZEROだと思いますが、インディーズ・ファーストの頃の、BAKI・MORRIE・LUNASEAのRYUUICHIと受け継がれていると思われる唱法が現れている頃も捨てがたいと思います。ラルクなんてもろZEROの頃のそのものであり、出てくるのが早すぎたバンドだったんだな、と残念に思います。

 今自分は日本の音楽をまったく聴いていないんですが、自分の音楽の嗜好はどこかでMORRIE像を求めているものがあり、早く現役復帰して欲しいし、このままではミュージシャンズミュージシャンになってしまいそうで、日本のレコード会社は何やっとんじゃ、と言いたくなります。デビィットシルビアンやブライアンフェリーのようにきちんと評価しているのが女性しかいないアーティストにはなって欲しくない、というのが自分の希望です。俺みたいな男のファンも増えてくれー、って感じです。   Yuuki Hirai




●私にとってのMORRIEとは・・・「この人がこのままでは、嫌だ」というのが、私のMORRIEへの最大の気持ちです。私が、MORRIEを知ったのはなんと96年、彼はすでに半ば行方不明状態でした。そして私は、それまで自分がMORRIEを知らなかったという事実にショックを受けました。

私は、ROCK MUSICと言われるものを聞き出して既に25年・・・でも、私事で、邦楽をあまり聴いていなかった80年代後半から90年代前半こそが、MORRIEの活動の最盛期だったのです。でも、「知らなかった」のは、そのせいばかりではないでしょう、このMORRIEという優れたアーティストは、今や、時のはざまに忘れられかけているのです・・・その事実が私には堪えられない。たとえ、本人が「ほっといてくれ!」と思っていたとしてもね。

ともかく、MORRIEという人は、表現することに圧倒的に真摯な人なのですね。後に、本人が否定することになるDEAD ENDの、恐怖映画のように作りこんだ世界にしても、日本人にとってROCK MUSICが、まだまだ「〜〜みたいに」という、憧れのスタイルを踏襲するか、または、あえてそれを強く破壊するかになりがちだった時代に、まったく、勝手に、自分独自の世界を構築していたのですから。その結果として、「日本語での世界観のある作詞」にも成功してますし。ソロになってからのMORRIEは、さらに音楽性は幅広く、というか、本人が望むという以外の制約無く音楽を縦断しています。ボーカリストとしての力量も、そのことだけで気持ちよいほどにあるし。そして、謎掛けのように哲学的な、尖っていて日常的でない歌詞は、ソロになってからの最大の特徴でしょう。

ですけれど、私が思うのは、「歌う」という行為はすでに、エモーションやロマンから切り放せず、また、観念から放り出されたように、生命が存在できる行為なのではないでしょうか? 「人間の初めにはロゴス(言葉)があるのではない、気配があるのだ」という言葉は、受け売りなのですが、MORRIEに捧げたいです。次には、MORRIEにぜひ「言葉のない歌」も歌って欲しい。不遜な意見でしょうか?  麻里



●私にとってMORRIEとは ・・・私にとってMORRIEの声は特別なもの。耳できいているより、体全体できく感覚で「細胞がきいてる」感じです。詩の世界もはまっていくとぬけみちがない迷路のようだと思う。
よくカリスマと言われてたけど、決してMORRIEは自分のことカリスマとは思ってないだろうし、カリスマとは違う。 亜弥



このページの写真は、BMGジャパン様には掲載許可をいただいています。
但し、肖像権についてのMORRIE自身の確認はとれていません。