Dead Endに於けるCool Joe
by paul stanley
Joeのベースはアルバム毎にかなり変化している。
まず、「デッド・ライン」に於いてはかなりアグレッシヴな音、演奏で、つまり高音域をブーストした硬いサウンド、音数が多いベースが聞ける。特に顕著なのが「ワースト・ソング」、「ディフィニティヴ・アージ」でバッキング・ギターがなくても十分なほどサウンドの輪郭を作っている。
このアルバムに於いてはJoeがバック・サウンドをひっぱている。「デッド・ライン」が最もJoeらしいと思える。(曲調もあるだろうが「ハイパー・D」収録の「サクリフェイス・オブ・ザ・ヴィジョン」がとても弾きやすそうに見える。)
次の「ゴースト・オブ・ロマンス」ではかなり洗練されたベース・プレイで特に目立たないが確実なプレイを聴かせている。注目すべき曲は作曲もしている「デコイ」だがJoeらしいプレイとは思えない。どちらかというと「ザ・レッドムーン〜」の方がベースが目立ってサウンドの中核を担っている。特にこのアルバムではドラムとのコンビネーションに重点を置いているようで「ダンス・マーカ〜」もリズム隊が一体感を出している。手数の多いMINATOを迎えたことによりどちらかというとリズムに徹している演奏といえる。前作までのドラム・フィル・インにシンクロする高音域を使ったフレーズよりもバス・ドラに合わせて、ボトムをキープする腰のあるラインが多い。
「シャンバラ」では、上記2枚のアルバムの集大成のような趣で、「エンブリオ・ヴァー〜」「ブラッド・ミュー〜」では、リズム、グルーヴ重視、「ルナ・マッド〜」はギターとメロディを紡ぐというように多彩なプレイを聴かせる。作曲をしている「ナイト・ソング」では、初期のアグレッシヴな音数の多いプレイを見せ、ライヴでもJoeの見せ場となっている。しかし、Joeらしいベ−スはこのアルバムまでだった様に思う。
問題の「ゼロ」だが非常に評価のしづらい作品で、このアルバム自体、MorrieとMINATOのプロジェクト的な感がある。ハッキリ言って、ベースがJoeでなくても構わないのだ。楽曲がJoeのベースを排除したとも思える作品で、とてつもなくオーソドックスなベース・ラインを演っている。
見方によっては、後のスタジオ・ミュージシャンへの橋渡しともいえる。
非常に残念なのが「ライヴ」アルバムに於けるミキシングで、ベースがかなり低く押さえられており、「ゼロ」以前の楽曲のドライヴ感がなく、スカスカしたサウンドになっていることだ。「ゼロ」収録曲を演っているときには目立たないが、HM、HR的な楽曲ではJoeのアグレッシヴなベースが必要不可欠な事が証明された感がある。これをバンド内の主導権の変化か楽曲の変遷に依るものかは判断の分かれるところだと思う。
奏法の要点としては初期は高音域を上げドラム・フィル・インにシンクロしフレーズを織り込み(これにはかなりテクが要る。)、中期はバス・ドラにあわせて、派手ではないが跳ねるようなリズムを刻むといったところでしょうか。 |
参考に聴いてみましょう
(インディーズ時代のジャケットは
どこに掲載の交渉したら良いのでしょう?)
アルバムGOAST OF ROMANCEより
(REAL PLAYERで低音部が
聴きとれるでしょうか?) |